時は遡ること2023年2月。フォロワーさんから一件のメッセージが届いた。その一通のメッセージから動き出した、とあるプロジェクトは2か月後の4月30日と5月7日に動き出した。そんなビッグイベントのブログ。
元々はフランクフルトの動態保存編成全ての点検を兼ねた試運転が4月ごろに予定されていた。特に計画のタイミングではL型がやや不調だったこともあり、諸々の性能確認も行う予定だった。
そんなところに、フォロワーの埜さんから欧州訪問予定の連絡が。聞くところ、埜さんだけではなく数名が来られると。それならフランクフルトで貸切イベントにしちゃえ!
保存会の会長が仲の良い友人なのもあって、別件で相談の際にその話を軽く持ち出したら二つ返事でオッケー。そんなすぐに許可下りていいの...?
待ちに待った4月下旬。本番前日にあたる4月29日にはMannheimでも臨時運転があったので、くれすとさんと中央駅で合流し、先にそちらへ。
この日は毎年開催されるMaimarkt(直訳:5月祭り・この地域で最大のメッセ)の初日ということもあり、運用を知らぬまま突発的に訪問。そもそも旧型が出庫するかもわからなかった。
無事にループ線に待機するGT8を発見。とりあえず一運用はこれで確定、しかも運転手が顔見知りだったので撮影が気軽にできる。天気はあいにくだったが、最高のチャンスだった。
のちにET6+EB6の運用も目視。これはかなり幸先がよさそうだ。
早速遊んでるし。
ET6の運転手も顔見知りだったので撮影のしやすさは完璧。臨時便は3編成での運用だが、もう一本は普通の低床車両のGT6Nだった。こちらも知ってる運転手さんだったが、過去に旧型車両でちょっとした事故があってからはもう乗車したくないそうで、低床車にさせてもらったらしい。
旧型車両の二人はというと、二人もトラム鉄なのでわざわざ横に並んで撮影開始。私たちも便乗させていただき、ダブルデュワグを記録。
「このあと入庫するから先回りしておくかい?」って言われたもんだから、そりゃしますよ。
ありがとう、マーロン。
線路の錆び具合からもわかる通り、普段は使用されない経路。そして橋の上にいる私たちを見て、撮影停車もしてくれた。
完全に満足しきっていたので、くれすとさんとこのままフランクフルトへ。
デュワグは続くよどこまでも
フランクフルトに戻ってからすぐ、Pt型を目撃したので追いかけ。保存車の148はほかのPtと違って登場当時のカラーリングなので、かなり目立つ。
15号線はここが終点で、引き上げ線に入ってから戻ってくるので待機することに。
旧市街に移動し、フランクフルト名物のりんご電車を待ち構える。なんせKumokoさんと尻手人さんが乗車されてると知ったからにはカメラで迎え撃つしかないのでね。
私たちも後続のりんご電車に乗車。偶然にも運転手も車掌も友人だったので、ループ線で運転台などの写真もかなり細部まで記録ができた。「明日貸切なんだよね」って話をしていたら、「明日T型初走行なんだよ」って教えていただいた。すでに平日は走行を行っているフランクフルトの新型、週末運転はここが初めてだった。いいタイミングに被った。
夕方には参加者の皆さんと合流し、イベント開始前の前打ち上げ。
日付は変わって本番の4月30日。無事に最高の晴天の下、臨時列車を待ち構える。
そして臨時列車の先行列車として予告通り彼が新型で週末運用の初走行。この時には同時に16号線でも完全初運用だったので、参加した皆さん含め最速での記録が達成できた。
10時ちょうどに通過して行った新型、近づく臨時列車の出発時刻、高まる緊張。先述の通り、L型の不調が続いていたので少しばかり心配な部分はあったものの、特に電話は無かったので大丈夫だろうと気持ちを落ち着かせようと頑張っていた。
無事に到着した私たちの臨時列車。
ここはフランクフルトの新己斐橋。そんな話を以前ツイッターでしていたため、私は事前に出庫時の行先表示を指定していた。そう。この臨時のためだけに行先表示を作ったのである。
事前相談の下、「己斐」と「広島駅」をお願いしたのだった。メールを送って1分も経たずに会長から電話がかかってきて、「本当に2つでいいの?もっとやりなよ」と言われたのはよく覚えてる。
では遠慮なく
フランクフルト発・三ノ輪橋行き
意外と似合うな...
本当は系統番号も積んでねってお願いしてたのに、伝達がうまくいっていなかったため上は白。逆にこちらのほうが良かったかもしれない。
動物園前のループ線に入線して、行先を変更。
フランクフルト発・広島行き
朝の時間帯は営業列車が30分に一本なので、そのタイミングを狙ったダイヤを組んでいただき、無事に石畳の上で撮影が可能になりました。
そして後ろから何かやってくる音が聞こえたので振り返ってみると、会長がM型を車庫から奪ってきた様子。せめて予告してくれ、私なにも聞いてない。
フランクフルト発・広島駅行き。
コラではないです。
フランクフルトのL型と広島電鉄の70形が形状的に似ているから、70形リスペクトで開始したこのプロジェクト。わざわざ広島電鉄さんが使うフォントを購入し(意外と高かった)、数少ない資料を検索して見様見真似で再現した行先表示。こうして目の前に立って、作った良かったなと思えた。
せっかくなので、会長に頼んでLokalbahnhof駅にて横並び撮影を実現。
ありがたいことにいろいろとやっていただけているので、こちらでは交通博物館の表示と臨時表示で一枚。
現在は諸事情あって閉館中ですが、2027年ごろをめどに再度オープンする見込みです。それまではイベントなどで保存されている車両の一部を見ることができます。また、各種イベント臨時列車なども運行しておりますので、ぜひ機会がありましたらご乗車くださいませ。
Usingen行き。こちらの行先は私の仕事の管轄の駅で、市電がそこまで行ったことは無い場所です。ちょっとしたエイプリルフールネタとして使えそうだなと思い、収録。
こちらのフランクフルトの南側に位置する森林区間、市電の最高速度が試される場所なのでノリノリの運ちゃんもフルスロットル。日本では味わえないくらいの急ブレーキを体験してほしかったのか、予告されたブレーキ試験も(一応試運転なのでね)。空いたバッグからカメラレンズが落ちるくらい車内のものが吹っ飛んだものの、幸い何も問題なかった(本当にすいませんでした)。
これは王子駅前だろうか。
広島の己斐行き、東京の三ノ輪橋行き。これ作った時に私はなにを考えていたんでしょうね、本当に。
さて、こちらのフランクフルト西駅、普段は市電が入線してこない場所なのでこの後出発時に無断駐車の車に進路を妨害されてました…まぁお陰様でこの光線具合が最高な撮影場所で時間が増えてありがたかった部分もあるんですけれども。
フランクフルトの南側に位置するLouisa駅のループ線にて再度横並び。あいにく逆光になってしまうため私はM型の入線のみ記録。
逆光なのをいいことに、一部の方は車両の後ろ側に回り込んで撮影していた様子。私はその間会長と話をしていたのだが、どうやら知らぬ間にスタックしていたらしい(嘘)。フランクフルトはゴビ砂漠ではないです。いや、次回やるときにゴビ砂漠行きでも入れるか...?
会長とはここでお別れ。M型が車庫にいないことがばれたか。私たちのL型も入庫ということで一旦車庫へ。
だ が 終 わ ら な い
さて、ブログでは初登場。快速の川越市行きです。
日本に行くたびによく使い、いろいろと思い入れのある路線でもある東上線。ダイヤ改正で消滅したばかりの種別をこんなところで復活させるという...
実はこちら、撮影場所はフランクフルトの隣町にあたるオッフェンバッハ。そうです、川越の姉妹都市のあのオッフェンバッハです。
そういった意味もあって、行先増やしていいとなったタイミングで川越は確実に入れたいと思っていたのでちょうど良かったです。特急小江戸・本川越行きと悩んだ結果、こっちになったんですけれども。
登場していない行き先、ラストはMajorstuen。
NITSグループはご存じの通りドイツ、日本とノルウェーの3か国のグループなので、オスロ市電よりメインの終着駅をピックアップ。
撮影地のRebstockbad付近も少しばかり北欧っぽさのある地域なので、よりオスロっぽさが出た。あいにく経由地を小さくしすぎたので12号線だと見えないのが失敗。こればかりは作る段階では読めないので仕方ないが。
晴天だった午前からガラッと変わって、午後には雲が出てきてしまったので撮影が少しばかり難しくなってしまった。
再び南方面に向かい、今度は別の森林区間にて撮影。ここなら光線をさほど気にせずとも撮影ができる。
宮島口を出て、西広島に向かうO型。「西広島(己斐)」よりも「己斐」のほうがやはり車両の年代的にもぴったりですね。まぁそんなこと言ってる人が後日第2回やるときに白色LEDで3号の宇品二丁目行き作ってるんですけど。
長い一日も無事に終わりを迎え、あっという間に中央駅に戻ってきていました。
中央駅で私たちは下車。ターミナル駅にふさわしい広島駅行きの行先を最後にお願いして、列車はこのまま車庫へ戻っていく。みんなで手を振りながら出発を見届け、無事にすべての行程が終了。
さて、そもそもこの行き先表示達はどうやって作成したかというと。
L型からO型まで、全てサボを差し込むタイプの表示器なので方向幕を上書きするなども手間なくできてしまうんです。保存会所有のプロッターで印刷し、ボードに張り付けて運転席上のサボ受けに差し込む形での付け替えを行っていました。
幸い色の出方もいい感じだったので、ぶっつけ本番でも十分満足いく結果となってホッとしました。
ルートも光線具合や営業列車のダイヤなどを考慮して組んだりしましたが、全てがうまくいって本当によかったし、なにより運転手も添乗していた係員の保存会メンバーたちも一緒に楽しんでくださって私としても嬉しかった。私以外の方も言語が通じなくとも、出身国が違くとも、こうして共通の趣味だけで現地の人とつながり、一緒に楽しむという姿を見ていて、やはり鉄道という趣味はすごいなと思ってしまった。私としてもたくさん学ぶ機会ができたのでいろいろと勉強にもなったし、このようなイベントの企画は初めてだったものの概ね良い結果で終わることができたのが何よりも嬉しかった。
一生忘れないであろうこの異例のビッグイベント、いつ思い出してもやってよかったなと思える一日になって、終日緊張していた私も終わってから一気に肩の荷が下りた。決して負担ではなかったし、むしろもう一度やりたいとも思ってはいるが。何ならすでに第2回はやっているが。
翌日となる5月1日にはハノーファーでのイベント、翌週にあたり5月7日には地下鉄での貸切イベント。こちらに関しては、後日また別の記事にて公開予定。